壬申の乱・天武天皇迹太川御遥拝所跡
天武天皇の遺構を発見したので記録しておきます。
普通の住宅地の中にいきなりこれが出てきました。
壬申の乱の時に軍を率いてここ三重県四日市市の朝明郡まできた天武天皇がここから伊勢神宮を遥拝したそうです。
すぐ横を十四川(じゅうしがわ)が流れているので、「迹太川(とおがわ)」は十四川の古名でしょうか?
教育委員会作成の説明によると、この地に「天武天皇のろしの松」とされていた老松があったために天武天皇の御遥拝所と定められたそうです。
ただ老松は枯れてしまい、この写真の松は二代目のようです。
全体図
また、ここから歩いて30秒ほどの所に「伊賀留我神社」があります。
さきほどの御遥拝所では、「迹太川(とおがわ)」とありましたが、こちらの看板では「咒志川(しゅうしがわ)現在の十四川」とされており、少し謎が残ります。
冷静に考えれば、とおがわ→じゅうしがわ の音の変化も不自然なので、伊賀留我神社の看板の説の方がありえそうです。
そしてこの看板によると、このあたりは聖徳太子の御料地という言い伝えがあるようです。そのため奈良の斑鳩と同じ音の名前なのでしょうか。
また、このあたりは「斎宮(いつき)」という地名であり、小高い丘の上には国衙跡とされる「久留倍(くるべ)遺跡」もあります。
なんだか歴史が詰まった土地のようでワクワクしますね。しかし、私が勉強不足で深く掘り下げられないのが悔しいことです。
あ、場所は四日市東インターからすぐです。