クーンの史跡めぐり帖

旅の途中に発見した史跡を記録していきます

壬申の乱・天武天皇迹太川御遥拝所跡

天武天皇の遺構を発見したので記録しておきます。

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普通の住宅地の中にいきなりこれが出てきました。


壬申の乱の時に軍を率いてここ三重県四日市市の朝明郡まできた天武天皇がここから伊勢神宮を遥拝したそうです。


すぐ横を十四川(じゅうしがわ)が流れているので、「迹太川(とおがわ)」は十四川の古名でしょうか?

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教育委員会作成の説明によると、この地に「天武天皇のろしの松」とされていた老松があったために天武天皇の御遥拝所と定められたそうです。

ただ老松は枯れてしまい、この写真の松は二代目のようです。


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全体図



また、ここから歩いて30秒ほどの所に「伊賀留我神社」があります。

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さきほどの御遥拝所では、「迹太川(とおがわ)」とありましたが、こちらの看板では「咒志川(しゅうしがわ)現在の十四川」とされており、少し謎が残ります。


冷静に考えれば、とおがわ→じゅうしがわ の音の変化も不自然なので、伊賀留我神社の看板の説の方がありえそうです。


そしてこの看板によると、このあたりは聖徳太子の御料地という言い伝えがあるようです。そのため奈良の斑鳩と同じ音の名前なのでしょうか。


また、このあたりは「斎宮(いつき)」という地名であり、小高い丘の上には国衙跡とされる「久留倍(くるべ)遺跡」もあります。

なんだか歴史が詰まった土地のようでワクワクしますね。しかし、私が勉強不足で深く掘り下げられないのが悔しいことです。


あ、場所は四日市東インターからすぐです。

山辺の道・中巻〜3年ぶりの再チャレンジ〜

18きっぷの余りを使い切るために奈良県のJR柳本駅まで来ました。

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これは柳本駅から歩いて5分ほどの黒塚古墳です。ここは古墳の上に登れます。


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古墳の頂上からの景色。



実は3年前に山辺の道を歩いたけれど、途中で挫折してこの駅から電車で帰ったことがありました。


なので3年越しの再チャレンジ。続きから歩くことにします。

f:id:iseki-sukisuki:20170227115330j:plain崇神天皇

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f:id:iseki-sukisuki:20170227115517j:plainf:id:iseki-sukisuki:20170227115540j:plainf:id:iseki-sukisuki:20170227115605j:plainf:id:iseki-sukisuki:20170227115625j:plain景行天皇f:id:iseki-sukisuki:20170227115654j:plainここで少し道に悩んだけど、結局山に入る以外ならどれでもよかったみたい。f:id:iseki-sukisuki:20170227115725j:plain


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やばい日が暮れてきた。

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月も出てきた…

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この道は通った後に振り返って撮った写真です。こんな民家と民家の間の細道も山辺の道なのか…

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この辺までは暗くなる中がんばって歩いてきたのですが、

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さすがにこの暗い道を17時に歩いて行く勇気は出ず、ここで撤退…

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帰り道に纒向珠城宮伝承地にであいました。この辺は昔の大都会だったんですね。

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三輪山行きたかった…!

名残惜しい、何度も振り返りながら離れていきます。

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巻向駅到着!15〜17時というほんとに心細い旅だったので、人がいる安心を噛み締めます。


夕暮れの山道なんかを歩くと、人間の弱さや自然への畏怖を感じます。

都会の中にいると、人間は世界を征服したような気持ちになるけれど、全然そんなことない。

いま森の中を歩いている生身の私の、なんと弱々しく頼りないこと。


だから定期的に旅に出ないといけないなって思うのでした。


さて、山辺の道早めに踏破しなくては!

下巻に続く。


伝・王仁の墓

日本史で名前を覚えた渡来人の一人「王仁(わに)」。


その王仁の墓とされる塚が大阪府枚方市にあります。


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住宅地に突然現れる王仁の墓。


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王仁が伝えたとされる千字文


お墓なのですが、、飾られている看板や植樹などを見たところ日韓友好の記念の公園といった意味合いが強いように感じました。


しかも案内板を見た感じでは、「鬼の塚」と呼ばれていたのを室町時代ごろ「王仁の墓かも」と言った人がいたので以来そのまま王仁の墓とされている、、といった感じのふわっとした説明でした。


えっ王仁の墓の確たる証拠は??(O_O)

六道珍皇寺 小野篁の井戸等公開

私の歴史好きは「鬼の橋」という児童文学作品から始まりました。

読んだ当時は中学生で、心をくすぐられまくったのを覚えています。

 

平安京を舞台に少年小野篁が井戸を通り冥界とこの世を行き来する話なのですが、こういうのって中学生にはたまりませんよね。

 

そんな篁の井戸が公開されるというので、10年以上たってますが念願の初対面をしてきました。

 

 

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六道珍皇寺

この「六道の辻」というのも魔界の雰囲気で中二心がうずいてしまいます。

 

小野篁が彫った閻魔像をみてから、目的の井戸へ…

 

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お堂の縁側からの撮影なら可、ということでありがたく撮らせていただきました。

左奥の四角いのが篁の井戸です。

 

ここから篁が冥界へ…

 

華やいだ京都の裏に見え隠れする闇。

 

もはや何冊も本が出ているような人気テーマですが、中学時代のワクワクの原点としての小野篁・冥界・平安京といったフレーズが鮮やかに蘇ってきた一日でした。